現段階での、これまで公開してきた自分自身の音質改善に関するノウハウや理論。それに加えて、オーディオ誌や書籍で解説されていたり、オーディオメーカー、オーディオショップ、オーディオ評論家がサイトなどで公開しているHiFi再生におけるオーディオ理論。
こうした経験に基づく一次情報と、メディアを通じて知り得た二次情報が組み合わさった頭の中にある「HiFi再生オーディオ理論」を一度まとめてみようと思う。
折角なので、ファンタジーなオリジナルのオーディオ再生論を
トータルキャリアは30年にも満たず、オーディオ業界勤務でもない単なるアマチュアのオーディオマニア。自分自身は、簡単なものの自作はしてきたが、回路設計や本格的な測定など技術畑は端から疎い文系のオーディオマニアである。
その程度のマニアが持論をまとめても、読んでもらって「無駄な時間を過ごした」と思われるのが落ちであろう。
そこで、現段階では自分自身でも「?」な要素も入れた、他ではあまり読む事ができないような、いわば「仮説」いやそれ以下な「ツッコミどころ満載」のオーディオ再生論をまとめてみたい。つまり頭の中にあるもやもやも、一度文章化してみるという試みだ。まとめてみないとそれが意味のある行為なのかもわからない。というわけで、とにかくやってみようと思う。
これを読んだ誰かが、より建設的な方向に向かうためのヒントを出してくれるかもしれない。そんな期待も込めている。なお、仮説(仮説未満?)理論なので、断定的表現を用いるが、断定するつもりはないこともご理解いただきたい。
なぜ、アナログ盤再生が復活したのか?についての仮説
一般的に言われている事
アナログ盤もアナログテープ(磁気テープ)もデジタルのようにサンプリングされていない。物理的には粒子の限界やそのうち読み取れる割合に限界があるので、無限に細かいデータまで記録できるわけではない。映画や写真のフィルム(銀塩フィルム)も同様だ。
しかしながら、それらはより自然さを感じる傾向が強いことが様々な角度から指摘されており、ここは疑う余地は少ないと考えている。特によく言われるのが、CDのように超高域をスパッと切る(CDの場合は20kHzで、MP3などロッシー音源はさらに下で)不自然さがないということだ。
人間の可聴周波数帯域は、若い人でも20kHz。中高年になればさらに高い音は聞こえないのだからそれは関係ないという考え方がもともとだった。しかしその後の研究で、単音としては聴こえなくとも感じることは可能で、クラシックの弦楽器などではそうした高調波を含んだ方が音が良く聴こえるという説が出回った。SACDが販売開始されたころの謳い文句だ。その後もこの是非を問う議論が続いている。
一方でアナログ録音のアナログ盤は、重低域はカットする(サブソニックフィルターなど)ことはあっても、高域はカットする意味がない。そこで一般的には50kHzくらいまで自然な減衰を伴って記録されているらしい。「不自然にカットしない」「自然な減衰」は、人が音を心地よく感じる要素ではないかと考えている。
めったに言われていない説
これは、埼玉県の自作真空管アンプマニアによる同好会「彩球オーディオクラブ」の発表会での講演で聴いた話だ。残 念ながら、この延長線上の理論を見聞きしたことがない。したがって、これを基にした仮説として考えていることが以下の内容である。
音波は、ある程度の時間的長さがないと、人間には音として感知することができないらしい。0.001秒だとか、あまりにも短い音波は音としては聞こえない、しかし「ノイズのような何か」という風に感じることはできるらしい。実は自然界には、こうした短い音波が少なからずあるらしい。
都会のザワザワ感に対する野山の静けさは、こういう影響があるのかもしれない。※騒音公害で良く問題になる低周波と似ているような
TVスタジオとかライブ会場にもこうした短い音波は結構あるそうだ。マイクはそれを拾い、デジタル音源はハイレゾレベルでなくともそれを記録してしまうらしい。DA変換されてもそれが残った音源は「ざわざわして音が悪い」と感じることが少なからずあるということだ。※実際に放送局に苦情がくるという
アナログテープやアナログ盤であれば、物理的にそうした情報は程よく鈍り悪影響が少ないらしい。そして、この理論は講演者(元NHKの音響技師)が現役のころの「NHKミキサー読本」に記載されていたという。
その後、こうした理論はあまり聞かなくなったので、録音機材や再生機器メーカーが技術的に克服したのかもしれない。しかし、デジタル臭さのないアナログ盤の音が好みだと、世界中のオーディオマニアや音楽ファンが、アナログ盤再生を復活させたのは、背景にこの問題があるのかもしれない。
CD登場後のデジタル再生初期時代、「デジタル臭さ」といういい方が珍しくなかった。それは、こうした弊害が背景にあったためかもしれない。かつてはその「デジタル臭さ」を緩和するために、CDプレーヤー直後にトランスや真空管を入れるという製品が販売されていた。
関連した話題かもしれないサイトを発見
本記事公開後に関連する話題(勘違いで関連性は薄いかも程度の理解だが)を扱ったサイトを発見したので、紹介しておく。
デジタルノイズへの対処として、高域特性の曖昧な真空管が良いという人が多い。最初に気付いたのはEMIが92kHz録音を始めた頃に、マイクアンプに真空管を入れた方が音の質感が自然だということだったが、
http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-157.html#mono
真空管アンプ愛好家はなぜそれを好むのか?
フルデジタルアンプに失望した経験
かなり以前、安価なフルデジタルアンプが発売されていち早く購入したことがある。フルデジタルアンプも2種類あり、DSDやSACDの基礎技術である1ビット方式はあまり安いものがないため試したことがない。試したのはPCM音源をDACを通さずD級アンプ(PWM変調)で電力増幅して、最後にローパスフィルターを通してスピーカーを駆動する方式だ。
PWM変調された時点で、厳密にはデジタルではない。しかしながら量子化ノイズや、アナログ増幅の諸問題を軽減することは可能となる。D級増幅の音質的デメリットは加わるが、差し引きしても比較的小型、軽量、高効率、ローコストで高性能なアンプまでの再生への道が開ける。
しかしながら、普段真空管アンプを聴きなれている私にとって、音は不満だった。弦楽器の倍音やホールトーンによる「フワッと感」が大きく後退したためだ。あきらめてライン段を真空管アンプに戻しパワーアンプとしてそのアンプを使用したところ、普段の音に近づいて実用の範囲に収まった。
つまり、フルデジタル方式の恩恵を受けられなかったわけだ。
このフルデジタルアンプは、後にDENONがDDFA方式のPMAシリーズとして大ヒットした。真空管アンプを知らない層には、この方式が受け入れられたのではないか?と推測(仮説)している。
真空管アンプで一般的に言われている事
偶数時高調波と倍音
クラシックでオーケストラなどを生で聴くと、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスといった弦楽パートの合奏音がホールに響き「フワッと感」を感じる。それが適度に響くと「よいオケだ」「良いホールだ」と思うわけだ。
再生においても、それがどれだけ再現できるか?が肝となる。録音など音源にも大きく左右されるしスピーカーにも得手不得手がある。されど、それが良く聴こえる組み合わせを志向するオーディオマニアは一定数存在し、私もその一人と考えている、
これらは、技術的には「楽器の倍音の再現力」と評価され、真空管アンプの特徴として、これの疑似再現に繋がる偶数時高調波が、トランジスタアンプよりも強いという説が大昔から存在する。もちろん異論反論もかなりある。トランジスタアンプでは歪として嫌われ低歪化の結果として除かれる偶数時高調波の量が一般的な真空管アンプの特徴の一つであることは否定できない。
一方で、ロック系などのエレクトリックギターの歪ませた音は、元来真空管ギターアンプで作っている。世界中で真空管アンプがオーディオ用として消えかかっても、ギターの世界では真空管ギターアンプは必須であり続けた。アマチュアギタリストは、電子的にエミュレーションした機材を採用してもプロや一流アーティストは真空管にこだわるようだ。
というわけで、オーディオ再生においても、ロック系と真空管アンプの相性が悪いはずがない。
出力トランスによる音の訛り
一般的な真空管パワーアンプは、スピーカーの手前で出力トランスを通る。電気、電子的には、これは余計で、再生可能周波数帯域も狭くなり、出力トランスの性能がシステム全体の性能を左右する。
聴感上も、出力トランスによって音の印象は大きく変わり、そのため高価で高性能な出力トランスを求めるマニアも少なくない。
また、聴感上、音のコントラストを強める効果があるという説もある。こうした出力トランスの良い面に目を向けた例として、マッキントッシュのトランジスタアンプには、トランジスタで増幅した後に出力トランスを加えた製品があり、結構人気があったらしい。
私自身は、最近の常用メインアンプとして、出力トランスはおろか、段間トランスを入れたものがかなり気に入っている。トランスを徹底して嫌うマニアは少なくないが、真空管アンプ愛好家は、好んで、もしくは必要悪としてこれを受け入れている。
真空管アンプの帰還(NFB)量の少なさ
現代の科学技術では、HiFi増幅回路には多かれ少なかれ「帰還」という技術が含まれる。これは、増幅信号の一部を増幅前の信号に混ぜて相殺(逆位相で混ぜるため)して、諸特性(周波数特性や、SN比、ダンピングファクターなど)を改善するものだ。
これがないと、まともなHiFi再生が望めないが、これが多すぎると音の印象も平面化して魅力が後退するといわれる。
この副作用の強い帰還をトランジスタアンプで無くそうと試行し、多くのファンから受け入れられているのがソウルノードの無帰還アンプシリーズだ。しかしながら、ソウルノートも局部帰還(一般的な回路全体の出口から入り口付近に戻す「オーバーオールNFB」ではなく、ごく一部だけの帰還にとどめる技術)は多用せざるを得ないと説明している。
この無帰還アンプは、例外的に真空管の3極管(または3極管結合)アンプなら実用化できる。また、一般的な真空管アンプでも帰還量が少ないものは多い。
最近常用しているアンプは、この無帰還方式だ。
デバイスとしての優位性
真空管は、かつて様々な電化製品に使われていた時代があり、多種多様である。また、回路や回路定数によって電気的特性のコントロールもしやすい。メーカーや自作マニアはこれを使って、聴感上好ましいオリジナルな音質傾向(無味でストレートというのも含め)を作りやすい。
また、電子の移動がトランジスタより速いという説もある。ガラス管の中で電子が直線的に移動するため、トランジスタより速いという説だ。科学的真偽に関する知見はないが、今回は仮説なのでこの要素も含めて考えている。つまり、聴感上、ストレートでハイスピード(かもしれない)ということだ。
周波数特性の自然な減衰カーブ
一般的な真空管アンプは、出力トランスや場合によっては段間トランス、入力トランスなど、回路にトランスが含まれ、真空管自体の電気特性もあり、トランジスタアンプよりも周波数帯域の幅が狭くなる。アンティークオーディオの世界では、現代の真空管アンプよりも回路や使用部品の関係から狭い帯域の真空管アンプも珍しくない。
狭い帯域のアンプのことを、俗に「カマボコ特性」という。カマボコの型に似て高音と低音が緩やかに減衰するためだ。その極端なものは真空管ラジオだ。
現代のHiFiアンプの特性図を見慣れていると、古臭いラジオのような音を想像するが、実際には音楽の美味しいところはカバーしており、なかなか魅力的な再生音に感じることも有る。
AMラジオの音楽に感動したという経験が多くの人にあるのは、AM自体が自然なカマボコ特性で高音低音がバランスよく減衰するためだという説がある。この自然な減衰は、現代の真空管アンプでもトランジスタアンプと比べるとその傾向が強い。この自然なバランスの取れた減衰が真空管アンプの魅力の一つという説もある。
低いDF(ダンピングファクター)によるスピーカーの個性強調
真空管アンプのオードドックな回路だと、トランジスタアンプよりDFがかなり低くなる。NFB(帰還)を掛けたり大きくすることで少しマシになるが、トランジスタアンプとは桁が異なる。出力管が多極管の場合無帰還だと実用に耐えない(といわれているが、実用している人を知っている)ため、無帰還や小帰還は、三極管が使われる。
工業製品の数値製のとしては、これは欠点となる。DFは、スピーカーの駆動力といわれ、これが低いと振動版の動きがもっさりするため、音ももっさりするというのが一般的だ。
一方で、DFが低いとスピーカーユニットのインピーダンス特性に周波数特性が引っ張られる。多くの場合、低域と高域が持ち上がり、やや音がドンシャリになる。
こればかりは、程度問題や相性問題が絡み一概には判断できない。しかしながら、適度なドンシャリで、音に味が加わり、むしろ好ましい場合があると感じている。真空管アンプに古いアンティークなスピーカーが組み合わされることが多いのは、そのスピーカーユニットが設計されたころは真空管アンプの時代だったので、それで音決めしたからだといわれている。
リアルを表現するということはどういうことなのか?
絵画、写真、映像の世界でリアルとは
ここで一旦HiFi再生から離れ、似た傾向を持つ(耳と目の違い?)、画像や動画の世界に目を向けてみよう。
写真や動画撮影を少し学べばわかる事だが、現在の進んだ科学力、工業力を用いた最先端カメラの世界では、優れたオートフォーカス、高度なセンサーによる露出やホワイトバランスのオートモード、収差の少ない高性能レンズ、これらによってスマホに搭載されているカメラでも、かなり良い写真や動画撮影が可能になった。
犯罪捜査などでは、さらにはデジタルの補正や補完技術によって、見えないものも可視化できる範囲が広がっている。
では、現代の写真家やプロカメラマンが、そうしたフルオートで撮影しているのだろうか?答えは否で、撮影はおろか、撮影終了後もデジタル上の現像、レタッチ、ポスプロという仕上げ処理を加えている。仕上がってくる作品は、素人がスマホで撮影したものとは雲泥の差だ。
もちろん絵画でいう印象派とかさらにアートに寄った作品や作風はリアルとは別の加工が入るが、目で見たリアルを表現する作品も、プロが撮影して加工した作品の方が感覚的に「優れている」と感じる場合が多い。
一流の美術館に飾られる写実的絵画の主題や構図を同じくして、スマホで撮影したものは、人々にそれ以上の感動を与えることができるのか?普通に考えてありえないだろう。もしそうなら、写真が発明された時点で写実的絵画は廃れ、現代でもプロカメラマンの大多数は、スマホや監視カメラに職を奪われているだろう。
画像や映像からHiFi再生の話に戻すと
理想的な性能、品質を持つマイクをはじめとする録音機材とHiFi再生機材があれば、何ら加工することなく原音に近い再生ができるであろう。しかし、現実はそうではない。特にマイクとスピーカーは測定上でも理想的な性能からは遠い。したがって、クラシックのような録音時の音楽的な不要な音源であっても、マイクセッティング、ミキシング、マスタリングとかなり加工が加わっている。つまり、入ってきた音をそのまま伝送、記録、増幅して再生するだけでは鑑賞レベルに達しない訳だ。
レコード演奏家論を参考にオーディオを考えると
2018年に惜しまれつつ故人となったオーディオ評論家の菅野沖彦氏は、「レコード演奏家論」というのを提唱した。ここでいうレコードはアナログ盤のみを指すものではなく、CDやデジタル音源ファイル含めたステレオ音源である。
菅野氏の論を借りて、「オーディオマニアが目指すオーディオシステムとは何か?」について考えると、それは電気的な測定値や特性を可能な限り良くして無加工でHiFi再生することではない。
機材の電気的性能は高い方が良いが、システムそれぞれに加工の余地があり、ルームアコースティックや電源環境・部屋の騒音や電磁ノイズ環境も加えて、「如何にセンスの良い音を再生していく」ことではないだろうか。
ここでいうセンスの良い音とは、自然さやリアルさを伴い、音楽に没入して感動を得られる音だと考えている。
私が考えるセンスの良いHiFi再生とは
音の入口、音源とプレーヤーについて
上記で、アナログ盤再生が見直されると述べたが、私自身は全面デジタルに移行し、ターンテーブルやテープデッキは所有していない。あまり興味もないので、知見もあまりない。
良し悪しではなく、余裕がないというのが正直なところだ。デジタル再生の音質改善に全力投球したいという方針をとっているため、アナログ再生否定というわけではない。
SACDプレーヤーが少し前に故障した。修理できるとしても結構な費用と手間なので放置している。数十枚あるSACDが再生できないのは残念だが、SACDも主にマルチ(3から5.1ch)が魅力に感じていたのだけど、音源が高価なので、ここ数年はマルチのシステムすら放置状態である。よって、故障しても支障を感じていない。
CDについては、主なものは数年かけてリッピングしてNASに収容している。しかし希少なタイトル以外はサブスクストリーミングで場合によってはハイレゾで聴けるので、メインはクラウドストリーミングで、現在はTIDALがRoonやMQAに対応しているということで中心になっている。
雑誌の付録とか、どうしてもCDを聴きたい場合は、音質は落ちるがPCのドライブから再生している。
ハイレゾ及びDSDとMQAについて
少し前に、「さよならDSD」という動画をYouTubeで公開した。SACDは好きだったし、DSDは本来好きである。しかし、実用性に乏しく、これも一点集中するため、音源はPCMに統一している。
CDとハイレゾの是非論とか、MQAの有用性をめぐる議論があるが、さほど興味を持っていない。聴けるものならロッシー以上ならどれでも良いと考えている。
マスタリングとかが微妙に違うケースもあるので、音源によってどれが良いか一概に言えないと考えている。アナログ盤でプレスによって音質が違い、わざわざ輸入盤や初期モノを入手しようとするのと似た理屈だ。
クラウドストリーミングは、音源個々を所有する訳ではないので、色々聴ければラッキーくらいに思っているし、幸い使用しているプレーヤーソフトのRoonは、そうした情報も表示してくれる。
ただし、ロッシーはそれしかない場合を除き、オーディオ評価の対象とはしていないし、仮にマスタリングが同一とかであれば、ハイレゾやMQAは情報量が多いので、「情報量が多いに越したことがない」「それにデメリットがあれば、そこを克服したい」と考えている。
PCオーディオかネットワークオーディオか?
デジタル音源のファイル再生は、PCオーディオからスタートした。その後、PCとシステムの距離が遠いことや、ネットワークオーディオの可能性に魅力を感じてネットワークオーディオに移行した。
今では、一周回って、どちらが有意かについては一長一短に感じている。しかし、仕事など音楽再生以外にも使用する汎用メインPCをオーディオに組み入れるのは避けている。そうなるとPCオーディオでもコンパクトなシステムには収まらない。また、ネットワークオーディオの方がスマホをリモコンとして使用するのに簡単という事もあり、利便性や成り行きでネットワークオーディオに落ち着いている。
しかし厳密にいえば、Roonの受けとして専用PCからUSBでシステムに繋いでいるので、折衷型とも言えなくもない。
DACについて
昨今のDACは、高級機には外部クロック接続機能がある。以前、外部クロックとしてルビジウムクロックを入手したが、特殊な規格であるためと、寿命が尽きそうなへたり具合でめったに稼働しない。
できれば、外部クロック対応の高音質なDACと外部クロックを使いたいが、コスト面も含め導入に至っていない。
DACは、日進月歩で次々と新しいものが出てくるため、当面はまだ入手してから5年程度のミドル級DAC(メリディアン218)を継続使用し、余程良いなと思うものがあれば再検討する予定である。DACについては、固有の考えはなくオーディオ誌などと同じように新しくて良いものがあれば良いなという考えだ。
アンプについて
先にも述べたように、自作を含めた真空管アンプ愛好家なので、以前自作し数度改造したパワーアンプ(KT88シングル無帰還)を常用している。
一方で、D級アンプも嫌いではない。電源をそれなりにすれば、すっきりした音質も悪くないと思っている。但しその場合は、ライン段を真空管にして、真空管ラインプリを入れる。何かの機会にプリアンプでトランジスタなどを使用しパワーアンプを真空管というのも悪くないと思っている。サブシステムは長年その構成だ。
とにかく、ラインアンプかパワーアンプのどちらか、もしくは両方に真空管アンプを使い事をモットーにしている。そうしないと物足りなく感じる。単なるイメージや偏見かもしれない。かなり高価なハイエンドアンプとかA級アンプは、それ以上の効果がある可能性が高いことを否定はしない。しかし、いかんせんコストやスペースの点で、イベントやオフ会で聴くのは良いが、我が家に導入することはないであろう。
アッテネーターについて
可変抵抗つまり、一般的なボリュームは、HiFi再生のボトルネックといわれる。やむを得ず使用する場合も、オーディオグレードのものを使用する。できれば、固定抵抗を組み合わせたアッテネーターや、トランス式アッテネーター、電子ボリューム、最新式の音量調節回路など、オーディオグレードのそれなりのもので音量調整したい。現在は、コストその他の関係でトランス式アッテネーターを使用している。
スピーカーについて
スピーカーについては、一般的なオーディオマニアとかなり異なる感覚を持っている。それは、優れたアンプであれば、平凡なスピーカーでもかなり良い音になるというものだ。
これは中高生の頃の体験に由来する。当時オーディオブームで、興味を持ち書店でオーディオ誌を立ち読みしたり、当時の月刊誌「初歩のラジオ」「ラジオの製作」といった技術誌を買って読んだりした。さらに、ブームなので地方都市なのにオーディオショップというのが開店して、買い物もしないくせに足しげく通った。
フルレンジスピーカーの自作ならできそうだと、最初は廃品のTVから外したスピーカーを段ボール箱に入れて鳴らしたりした。その後、祖父の作った本棚をベースに、「初歩のラジオ」の通販欄で最も安かった20cmフルレンジスピーカーを秋葉原の店から購入して組み込んでみた。バスレフポートなど適当で、本棚の板が薄いため、木工用ボンドで補強しまくって自作した。
当初はそれなりの音だったが、ターンテーブル、カートリッジなどを買いそろえ、最初に入手したトホホなアンプ(当時の輸出しようクオリティのローコストで低性能品)から、ICで2ケタ台の出力が出るというアンプを入手。それを使って、ダイレクトカッティングなどという高音質アナログ盤を再生すると、我ながら驚きの高音質となった。バリーホワイトのアルバムを聴くと、ドラムが物凄くリアルに聴こえたのを記憶している。
市内に出来たオーディオショップで、いつものように店員さんのセールストークに聞き耳を立てていたら「スピーカーがそんなに良いものでなくても、アンプまでのシステムが良ければ相当良い音が出ますよ。」という話が聞こえた。自分の体験は、例外的なものでなかったことを確信した次第だ。
もちろん、さらに高度なスピーカーを使えば良くなることは理解している。しかし、この原体験から、スピーカーよりもアンプとその上流に力を入れるのがこれまでの私のスタイルだ。
現在は、中古で入手した定評のあるBBCモニターのLS3/5a(スペンドール)が気に入って常用しており、おそらく死ぬまで使うのではないかとすら思っている。このスピーカーは、先ごろ急逝された、自作真空管アンプ界の有名人ペルケさんこと、木村さんの影響(サイト「情熱の真空管」運営者)で入手した。一般的に真空管アンプ愛好家は、出力の小さ目な真空管アンプにあわせて高能率のスピーカーを選択するのが定石だが、LS3/5aだけは例外であるように思っている。
別の機種で、新品スピーカーを今後買うとしたら、今だと手頃な価格帯のこちらに注目している。
あるいは、上位機種のこちらなど。
ケーブルやアクセサリー、電源その他
真空管アンプの自作にハマっていた時代(2000年代初頭)、当時の自作及び真空管アンプ愛好家はベテラン(つまりご高齢)が多く、彼らは技術誌(「MJ無線と実験」や「ラジオ技術」)は読むが、一般オーディオ誌には興味がない人が多かった。逆に一般オーディオ誌には、真空管アンプの記事はほとんど掲載されなかった。同じオーディオマニアでも、ここにものすごい断層を感じていた。
結果的に、私のオーディオの特徴でもあるのだが、その断層の両方から情報を入手して、両者の美味しい部分をミックスするよう心がけている。当時の技術誌界隈では取り上げないような、オーディオグレードのケーブルやコンセント・タップ類、振動対策グッズ、ルームアコースティックグッズなどを取り入れてきた。最近では仮想アースなども。
とはいえ、メインがデジタル再生系(もともとPCが好きだったので、Linuxオーディオなども)と真空管アンプなので、ケーブルやアクセサリー類はほどほどでしかない。高価なオーディオアクセサリーの原理やノウハウを応用した自作や格安グッズ中心に低コストで楽しんでいる。
まとめ
ここから、少し暴論かもしれない。憶測や仮説段階の組み合わせだ。
デジタル系のまとめ
まずデジタル系は、WindowsやMacというオーディオ以外のタスクを多く抱える汎用OSは使用せず、目的だけを最小限に組み込んんだLinuxを使用している。
音質面では振り返っても最適解だったか怪しいが、流行に乗ってRoonを導入した。ソフトウエアとしては高価な生涯ライセンスを入手したので、これを軸に音質改善に取り組んだ。LANでは、ケーブルやハブ、ルーターなどのノイズ対策も重要だと体感して自分なり対策を進めている。また、通信プロトコルとして、非常に評判の良いDirettaが比較的安く導入できた(ソフトウエアのみGentooPlayerというLinux活用で導入したため)のでこれを採用している。
Direttaは、本来Windowsが送り出しの標準だが、それでは意味がないので、RoonとDirettaHost(送り出し)を独立した小型PCでサーバーとして運用し、Linuxの送り出しとしている。
受け側のDirettaTargetも、同じくGentooPlayer活用で、中古型遅れのノートPCを使用して、これらのノイズ対策を慎重に施したうえでDDCにUSBで接続し、そこからS/PDIFの同軸デジタルケーブルでDACに送っている。
とにかく、デジタル系は良いと報告されるノウハウを積極的に活用し試行錯誤を重ねてきた。デジタル系といえども、いやデジタル系こそ、電源対策、ノイズ対策、グランド対策(仮想アースなど)、振動対策、ケーブルの吟味という基本のオーディオ対策も必須である。
アンプ系のまとめ
「デジタル臭さ」緩和のためにも、プリアンプ、パワーアンプのどちらか、もしくは双方に真空管アンプを使用する。また、音量調節は可変抵抗は避けてアッテネーターを使用する。そうした手法をとらない場合は、かなり高度な(必然的に高価な)アンプを使用することが肝要である。
電源ケーブル他、基本のオーディオ対策はいうまでもない。また、ここを強化することで、そこそこのスピーカーでも高次元の再生が可能となる。
スピーカー、ケーブル、アクセサリーのまとめ
かつての真空管アンプ愛好家は、ケーブルやアクセサリーに拘らない傾向が強かった。自作アンプは大抵ゴム足を使用していたりした。よく出来た回路ならケーブルの影響を受けないという説もある。
しかし、私の場合は良く出来た回路でないためか、電源ケーブルやラインケーブルは、音をかなり左右すると感じてきた。ケーブルやアクセサリーは積極的に吟味して使用すべきだ。
スピーカーは、そこそこのものでも、拘って好みの高度なものでも最低限は、能率・入力インピーダンス、耐入力がマッチングしていればよしとしている。
本当に難しいのはオーディオルーム、すなわち電源環境、騒音環境、ルームアコースティックだと考えている。これらは機材と同等以上に影響が大きく、場合によっては建築系の対策が必要となる。
ルームアコースティックは、部屋それぞれとなるが、最後に私が導入して今日まで気に入り、万人向けと思う一例を紹介して本記事を締めくくりたい。
コメント 他者への誹謗中傷はお控え下さい