オーディオの試聴感とかブラシーボとか(オーディオの知覚と知識の関係について)

2021年のマイオーディオシステム

オーディオマニアとブラインドテスト

よくオーディオマニアをとりまく論争や話題の一つに、ブラインドテストというのがある。

アンプやスピーカーなどのオーディオ機材を替えたたら、音がこう変わったと気にするマニアに対して、軽微な違いの場合、非マニアは「そんなの判るはずない」「気のせいだ」「ブラセボだ」としばしば言いがかりをつける。

一方で、マニア同士でも「ブラインドテストしない限りその認知はいい加減だ」という主張する人が出現して、話が混沌とする。

イベントやマニアの交流、メーカーでの実験などで、実際にブラインドテストをすると、「耳に自信があり」なはずのマニアも大部分が正確な聞き分けができないという結果がでることが多いらしい。

正月の一流芸能人クイズ

オーディオの話ではないが、正月の人気クイズ番組で、「料理」「お酒」「楽器」など評価に味覚と聴覚を要するもので「一流の本物」と「前者の数倍安い偽物または非高級品」をブラインドテストで当てさせるものがある。

番組ではいつも、ロックアーティストのGAKUTOが全問正解し、その他の芸能人は個人差はあるものの多くはまともな成績にならない。

テレビなので、わざと間違いやすいものを選んでいるとはいえ、世の中の多くのものは、ブラインドテストで正しい評価をするのは難しいということと、その中でも正解率の高い人は存在する、ということをこの番組から感じている。

専門の鑑定家の存在

GAKUTOがなぜ正解できるかインタビューで聞いているのを見たことがあるが、要約すると、専門の鑑定家並みに普段から鍛えているからだそうだ。何を鍛えるかというと、味覚や聴覚などの感覚もさることながら、多くは知識であるという。知識と感覚を記憶で結びつけるという作業だと思われる。

確かに日本酒の評価員や、ワインのソムリエなどプロの鑑定家はあまり間違えないようだ。最近ではオーディオの試聴評価能力も訓練によって向上することが、マニアの中でも一般的になっていると思う。

訓練による向上とは

自分の専門外のものだと、まず知識がない。わかりやすいのは音や味覚ではなく視覚を使った映像の評価。写真やテレビなど映像モニターのちょっとした違いは、知覚的には訓練を受けてなくても「色が違う」「ピントが違う」はもとより写真の質感などの違いはほとんど誰しも判るだろう。この分野では、「高級テレビの画質に価値がない」という主張は素人からも出てこない。

しかし、似たクラスのテレビやディスプレイ、プロジェクターのマニアや専門家レベルの評価は、素人では何となく違うくらいしかわからない。マニアの会話から伺えるのは「ドット抜けはもとより、ドット単位の発色力」「黒の質感」「ノイズ」などなど、マニアレベルで気にする細かい評価軸があるということと、それらが何を意味するか、機材の構造含めて理解していないとなかなか納得できるものではないだろう。

訓練とは、知識の習得と知覚への結び付け作業だと思われる。さらに、経験もこれに加わると考える。

学者と外国人の認知力

素人には昆虫や魚類という生き物の細かい種の違いは判らないことが多い。しかし、その道の学者は細かい違いを知っていて大方は一瞬で判別できたり名前を言い当てる。これらは、知識の力なんだろうなと思う。

一方で、東洋人は西洋人やアフリカ系の人の顔の区別がつきにくい。同じような顔に見えてしまいがちだ。逆も同様。見慣れていないものは区別し難いということだ。

話がややこしくなるブラシーボ

では、慣れや学習、知識を得ることで判定力が増したとして、心理的にそれらと反する現象になりがちなのがブラシーボである。

2つのグループの患者に薬と偽薬を飲ませて、薬の効果を調べると、偽薬でも少数ながら効果が出た患者が出現するというのがブラシーボ。

偽薬でも、薬を飲むという情報を与えると心理的効果が働き、科学的事実とは異なる結果となる。

オーディオの判定でも、「新しいカクカク云々の機材を投入した」という情報を持って試聴すると、仮に効果が極小でも「効いた」と感じてしまうことはよくある事なので、実はオーディオマニアでも「ブラシーボかもしれないが、こう感じた」という注釈がつきがちだ。

バランス感覚で総合評価

結局、現代のオーディオ界のトレンドは、マニアや開発者・評論家の(ブラインドせずに内容を知った上での)試聴評価も、ブラインドテストも、ブラシーボの存在も、さらには計測データもすべて否定せず、それらをトータルに総合評価していく方向と言えよう。
一つ間違えば「何となく」であり、怪しい世界になる(非マニアが怪しがるのは当然)のだが、特定の要素を否定すると弊害の方が多いという経験則を持つのが大方の意見(集合知)だと思う。

もちろん、確固たる方針で、たとえば「計測データしか信用しない」などというメーカーやマニアも存在はするが、集合知の見地からは異端と考えるべきではないかと思っている。

実際、そうしないと趣味も開発もまともに成り立たなくなる。

文学や芸術・芸能も結局は同じ

鑑賞する人の主観からスタートするのは、文学、芸術、芸能も同じだ。長い歴史の中で体系付けられている要素は文学や芸術にはあるけれども、たとえば美術でも歴史の中では作者の存命中には評価が定まらなかったといういわく作品は数多い。

また、学習する、背景を知る、情報を得ることでさらに鑑賞体験が深まるというのも共通している。

社会人なりたてのころの体験

個人的経験談だが、私は学生時代、美術系が苦手だった。写真、映画、放送番組、音楽に関しては、自分の感性にそれなりに自信を持っていたが、「絵が苦手」というトラウマのため、美術だけでなく、印刷物のレイアウトとかそういうのも「自分には評価できない世界」と勝手に決めつけていた。

ある時、仕事でグラフィックのクリエイティブを制作担当することになり、ディレクターの先輩に「グラフィックはよくわかりません」と話したところ、「思ったままを言ってごらん」とアドバイスされた。

どれだけ基礎知識があろうがなかろうが、センスの高低もともかく、まずは「思ったまま」というのがすべての評価の核心だと思い至った。

それ以来、まずは自分がどう感じるかに耳を傾け、一方で基礎知識も習得していこうという姿勢に変えたため、その後は、むしろ「グラフィックにもうるさい人」に変身し、仕事としてのスキルは向上したと思う。

「わからない」「駄耳ゆえ」というのはやめよう

脱線したけれども、オーディオに話を戻すと、マニアでも評価を避ける人が意外に多く存在する。

機材を収集したり、機械を使いこなすことに喜びを感じるマニア。自作や改造が得意で、電気的な計測データは重視するものの出来上がった機材の細かな音質評価を多く語らないマニアなど。

もの凄くがっかりするのは、ブログや技術誌でオーディオ機器の自作記を読んでいて「なるほど、なるほど」と感心して読み進めると、最後の結論としてのヒアリングに関する内容が無かったりする人。

「音質評価は人によって異なり、特に自作はわが子のように良く聴こえるのであえて記載しません」などと注釈があったりする。

SNSでも同様に、機器に関する投稿をしておきながら「駄耳なので」と音質評価を避ける人は多い。

経験が浅い人などで「ブラシーボかもしれませんが、こう感じました」という書き方をする人も結構いるけれど、これがまっとうというか常識的な方法だと思う。

それなりに経験を積むと、経験が浅いとか耳に自信ないとか含め、どんな人がどのように感じたとう内容だけで、それなりに察しが付くことがあり、結構、参考になる。評価を避ける話や記事は参考にならないどころか、がっかりとなってしまう。

感じたまま表現する癖をつければ評価スキルは向上

というわけで、SNSなどネット上含めて、多くの情報に耳を傾けるのが好きなオーディオマニアとしては、色々な人(マニア以外も)大いに感じたことを表現してもらいたいなと思う今日このころという話でした。

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