60歳で定年退職して、丸5年(2020~2025年)が経過し65歳になったのだけれど、5年も経ったという実感が全くない。そのため、備忘録を兼ねて本ブログの主なテーマであるオーディオ以外の生活面含め思い出したり記録を頼りにまとめていく記事である。今回は、その2回目で退職2年目をまとめて行く。

退職1年目の振り返りと2年目のスタート、最大出来事はYouTube開始
改めて記録(特にグーグルフォトの写真がその時期を克明に物語る)も見ながら振り返ると、退職1年目は、世の中全体はコロナ渦という人生で初の出来事が同時進行する中で、やはりアクティブに過ごしていた。長い間待ち焦がれたセミリタイアライフなので無理もないし、心身ともに元気だったようだ。
2年目にYouTubeをスタートした
仕事としては、WEBコンサル、転売と不用品売却、ブログ、そして生活の支えの(小規模ながら)資産管理運用と1年目で始めた事柄を回す2年目のスタートであった。
確定申告が一段落して、1月から2月頭にまとめて多く受けたコンサル業務が一段落した2月にそれが起こった。本来なら前の年に物凄く苦労してブログの収益化(グーグルアドセンスに合格)を達成したので、それにまい進すべきはずである。
ところが、苦労しすぎたためか、思ったほどブログに力が入らない。同じやるにしても、もう少し立体的な展開をしたいとか、WEBコンサルの名に恥じないように、SNSなどの同時展開、相乗効果を目指すべきではと考えていた。
SNSは、それまでもフェイスブックを公私ともにかなり使いこんでいたし、ツイッターは初期のころにやった時期があったため、アカウントを復活させた。最後はYouTubeである。これはノウハウがない。学生時代にアナログのTVラジオ番組の制作や編集経験はあるが(放送学科出身)、デジタルの動画編集はHDDレコーダーの録画トリミングや子供の成長記録のDVD化で少しかじった程度。むしろ仕事でも避けてきた領域だ。
とにかく全く知らないというのもWEBコンサルとしては恥ずかしいので、とにかく始めることにした。
当初考えたYouTubeのコンセプトから変化(進化?)を繰り返す
開始した頃のYouTubeは、趣味のオーディオ系のチャンネルはまだ少なかった。国内でまともにオーディオのコンテンツを番組的に継続発信していたのは、アンソニー氏のみ。アンソニー氏のチャンネルは、オーディオ以外のカメラやガジェット系も扱い、撮影もナレーションも編集もプロ並み。すでに脱サラしてYouTube一本で生活していた。いわゆるユーチューバーだ。
ただしオーディオ歴が浅く、知識が乏しく内容が浅い。一方で、いまでもこれを模範としてチャンネルを立ち上げるオーディオマニアが多いのが、ケンリックサウンドの空気録音。
例にもれず、これに似た空気録音+字幕での解説でスタートした。当初の数か月は、テストと位置付けた試行錯誤であったが、今振り返るとかなり酷い出来だったと思う。動画のでき以前に、撮影や録音の機材に不満が多く、かといって収益化して大きな収入も考え難いため、高価なものの導入は避けたい。そうした葛藤や試行錯誤自体(マイク選びとかカメラ選びなど)を動画にしたりしていた。
その後も、動画の内容やコンセプトは試行錯誤が続いた。
秋口にようやくYouTube手応え
YouTubeをノウハウのない素人が立ち上げる場合に、多くの先達やコンサルが一致してアドバイスするのは、野球の「千本ノック」に似た、動画の「100本制作」である。それまでは我慢で、100本制作して公開した頃からスキルがまともになり、方向性も見えてくるというのだ。
というわけで、ひたすら下手な動画を作り公開し続けた。
秋口になったその頃に、3つのことがあったと記憶している。一つは、しみじみと公開した動画を振り返り反省視聴した。作った中の一部のモノは今後の可能性を感じさせたし、同時に動画編集が少し出来るようになって楽しいと感じていた。「まだ行ける」それがその時の結論だった。勤めていたころと違い、上司の判断もないし、結果が企業の業績や自分の生活に影響を与えることはない。すべてを自分で判断してリスクのほとんどない領域で努力している。コロナで大変な時代(この年に東京オリンピックが無観客で開催)であったが、秋にはゴルフも再開して充実していたと思う。
あと二つは、ようやく納得できる動画ができて、実際に視聴回数も伸びた。自分のスタイルが確立しつつあった。
また、冒頭の写真にあるように、ブランクの有ったアンプなどオーディオ自作も、YouTubeのネタとして一部復活した。過去のアンプのメンテナンスや改造だが、今考えると3年目以降に取り組んだように思っていたが、写真の日付を見るとこの頃からやっていたようで新鮮な印象だった。
晩秋に父が危篤になりWEBコンサルを縮小
定年後の2年間で、いろいろ手を広げて、YouTubeまで注力する体制となっていた。
一方で、自分が62歳目前となった頃に、年を取るのは自分だけではない現実が襲ってきた。東京で暮らす私とは別に、愛知県に移住していた父母が90代となり、どちらも施設暮らしでいつことが起きてもおかしくない状況となった。
この状態で、WEBコンサルのプロジェクトに参加し続けるのは、いざというときに迷惑がかかる。それ以前に、社員ではなくフリーランスとしての参加なので、親の問題で業務を放り出せるかというのも怪しい。
WEBコンサルは好きな仕事であったが、その頃に主だった業界大手のプロジェクトの下請け参加は、質と量で大変な割に収入は少ない。生活費は過去の蓄え(個人年金など)や資産運用系で目途が立っていたので、セミリタイアしてあくせく働くのに疑問を感じていた。
というわけで、その機会にコンサル業務はフェードアウトすることにした。
趣味のオーディオが生活の中心に
物販も、手間の割には思ったほど稼げず、コンサル業務もフェードアウトしたため、小規模な資産管理業務と性格の違う趣味であるゴルフ以外は、オーディオが趣味でもあり、YouTubeとブログという僅かながら収益を生む仕事的な側面もあり、とにかく生活の多くを占めるようになった。
セミリタイアというのは、概ねそういう生活スタイルが標準であり目標だと思うので、悪くない展開だと考えている。
定年退職2年生のまとめ
中学高校などの学校に例えると、2年生は最も充実した時期だと思う。試行錯誤の1年目とは違い自分自身(青少年ではないのでこの場合は”生活”と思う)が確立するタイミングだ。部活であれば(上級生から)教えられる立場から教える立場へ、試合などで応援・サポートする立場から出場する立場へ。
まさにそのような2年目であったと思う。ただし繰り返すが、意外と激務だったコンサル業、コロナ渦、親の問題、東京オリンピックの興奮などで、あっという間に過ぎた1年であった。
1年目と3年目以降のまとめはこちら
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