本来ここは趣味のオーディオのサイトで、最近趣味として増えたカメラやレンズの内容も含めるようにしたが、生活全般については対象外としてきた。
SNSだと、身近な知り合いが友達登録などをしてくれているので、反って書きずらいが、こちらのブログであれば逆に身近な人はあまり見ないという計算もある。
とはいえ、オーディオも含めて全般の記録(自分自身の備忘録とか日記的な)もたまには良いかと思い書いてみたい。ブログとはそもそもWeb Logの略で書き手の日記的なものが原点であるので、悪くないだろう。
2020年1月1日にフリーになった
大学を卒業してから長年勤めてきた勤務先は、定年退職日が誕生月の翌月1日とわかりやすい仕組みとなっている。幸い私の誕生付きは12月なので、退職日が1月1日ととても分かりやすくてキリが良い。
退職前のオーディオの動き
親会社や子会社の役員になるような出世コースではなかったので、その当時の平均的な賃金カーブで55歳の役職返上(完全返上は免れたが)が年収のピークとなる。
子育ては終了し住宅ローンも完済していたので、50代の高い年収は老後の蓄えを築くべくというパターンなのだが、一方でふるさと納税は毎年サラリーマンとして年1回の結構なご褒美となる。
最初のころは、米や牛肉などの返礼品をちまちま獲得していたのだが、最後の数年は自分へのご褒美としてオーディオ関連の返礼品をゲットした。
- Roonサーバーの生涯ライセンス(当時から安くなかった、一旦Amazonギフト券を入手してからAmazonで当時の日本代理店柄入手した。これがなければ、Roonは一生他人事だったかもしれない。
- 高槻電機の国産人気真空管300Bペアチューブ。鹿児島県の市町村が返礼品にしていたのを発見。自分で使わなくても所有しているだけで値打ちが上がるはずと市販価格二桁万円の返礼品として入手。実際にもったいなくて、使わずにしまいこんでいる。300Bは、WE復刻版の木箱入りも所有しているが、こちらは試しに短期間聴いた経緯がある。
最後の年は、ネタが尽きて、家族用に電動アシスト自転車を入手した。
一方で、決まった給料を毎月もらえるのが残り少ないという意識から、月払いで十数万円の中級DAC「メリディアン218」を購入。ブログやYouTubeで何度も取り上げている。ただし、入手5年後にメリディアンのメリットであったMQAが縮小したために、この危機は手放した。
退職1年目の2020年の生活やオーディオ
なぜそこで退職したのか?
実は、同時期の退職者は全体の2-3割で、多数派は勤務先の再雇用制度で会社に残った。最長65歳まで雇用される(国の制度なので)。
私は、40代の頃から再雇用制度などがはっきりしていなかったということもあって、個人年金に数多く加入するなど対策していたのと、50代では老後を意識して、経済的な対策は最低限行っていた。
また、個人スキルもWEBマーケティングの分野で資格も取得して、少しは稼げる道も確保していた。そのほか諸々の多少ながらも恵まれた境遇で、「最悪バイトすればよいか」で再雇用は受けなくても済んだ訳だ。
退職と同時にコロナが蔓延し始めた
有休消化の12月や年末年始は、近場のドライブ旅行や帰省でのんびりできたのだが、その直後、2月くらいから日本列島はいや世界中がコロナ一色になってしまった。
ちなみに、その時期の退職者がみな経験することだが、毎日家にいることが慣れず、夢の中で仕事をし続けるという日々が続き、精神的にはまだ解放されていない状態であった。
ハローワーク月参が半年から2か月伸びる
定年退職者は、約半年、最低毎月1回ハローワークに通い、失業給付を受けるのが一般的だ。当然これは事前に承知していたし、その半年間は生活に困らないため経済面の計算にも入っていた。この通い方も多少のノウハウがあり、効率的な方法は先輩諸氏やネット上で得ていた。数回目からはコツをつかみという具合だったが、コロナはそこに輪をかけた。
政府上げて「家に籠ろう」運動となったので、公的機関に通うというのはすぐに改められて、郵送対応となった。毎月一度郵便を出して、結果を郵便で受け取るという楽な対応となった。
ハローワーク通い中は就職できない
失業しているから失業給付が受けられるのであって、再就職してしまうとそれは受けられなくなる。バイト程度なら良いが、起業レベルでも危うくなる。
WEBマーケターとして資格も生かして少し働く予定だったが、仕事仲間には、ハローワーク終わったらなどと話していた。
その間は、バイト程度の仕事として、ネット転売を少しやってみたりした。AVアンプやオーディオケーブルのに加え、ジャンクのノートPCをヤフオクでGETして修理して販売というのもやってみた。これらは、労力の割に儲けが薄いことや、秋以降は本来のWEBマーケティングの仕事が本格的に入るようになり、それどころではなくなった。それでいつしか再開も億劫になり終了した。
七転八倒したグーグルの広告審査、アドセンス資格取得
会社員だったころは、グーグルは法人大手には社員が営業する体制なので「アドセンス」というグーグルの広告資格は軽く考えていた。しかし、退職後に分かったが、個人になるとグーグルは神様のような存在で、「アドセンス」という広告媒体としての資格取得はとても難しい。
一方で、世界レベルでネット広告の分野ではグーグル1強体制である。物凄い1強だ。ネット広告の様々な分野でグーグルに競合する企業やサービスはとても多い。しかしそれらはすべからく1位のグーグルから大きく大きく水をあけられており、それらに参加するメリットは少ない。どうしてもグーグルの審査にパスできない場合の選択肢となるが、それならばやらない方がましと思ってしまうレベルだ。
本ブログの前身となるブログや、そもそも20年以上前からサイトの運営はやっていたのだが、すでに運営しているブログの審査は気が遠くなる程アドセンスの認定は厳しい。
グーグルの規定に沿って、1からブログを立ち上げた方が遥かにやさしい。ということを知って、改めてサーバーレンタルやドメイン取得を行い当ブログを立ち上げた。しかしそれでも審査失格は続き、1月ころから初めて、夏にはあきらめて専門コンサルを依頼し、秋ごろにようやく資格を取得した。
秋からフリーのWEBマーケティングの仕事中心に
この分野は仕事を獲得するのが大変なので、あまり期待していなかった。ところが仕事仲間の一人ですこぶる優秀で顔も広い友人が、同時期に起業していた。最初は勤務先後任の副業だったが、すぐに勤務先をやめて自分の会社に専念し、その後は何と大学の講師も始めて、二足の草鞋という優秀な人物だ。
在職中からお互いの能力はわかっていたので、彼の企業第一段階では、私はスタッフの1員として計算されていて、ラッキーもあり私の専門分野(WEBマーケティングでも特にSEO)の仕事もほどなく入ってきた。
勤めていたころよりは凄く薄給だが、続けていればいろんなチャンスも期待できるし、好きな仕事なのでやりがいも感じて、ぎゅむ改善などにも取り組んでいた日々であった。コロナの時代でも完全在宅(当時は大手企業の社員も在宅で業務や会議が当たり前だった)はありがたい。交通費も事務所費もかからない。
1年目の記録は以上だ。5年分まとめてサクッと書こうと思ったものの、1年分ですでに結構な文字数となった。
2年目以降は、ページを改めていくことにする。
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