定年退職から丸5年が経ったので、オーディオ以外のことも含めて記録(退職5年目、コロナ禍落ち着き活動再開)<2024年の記録>

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 今思えば、定年退職5年目の2024年はこれまでと大きく様相が異なる。政府がコロナを5類に移行させるほど社会的深刻度が減少した。自分自身も世間も活動再開がすごく目立った。

 継続的なイベントに行くと、判で押したように「4年ぶりの開催」というセリフが目立った。自分が行動を控えていて久しぶりだと思ってイベントに出かけると、待っているワードはそうしたイベント自体が久しぶりの開催(もしくはネットやバーチャル、リモート開催ではない本格開催)というものだった。

 定年退職したら、まず実施しようと考えていたふるさとの四国旅行もGW(先方都合にて)にて実施できた。そうした特殊な新鮮味をなにかと感じる年であった。

2024年コロナで延期していたふるさとの四国旅行
愛媛県出身ながら、南の方は行ったことがなかったので、行こうとしたが、途中までしか行けなかった

ふるさと四国旅行の一か月前に、九州オーディオ旅行で福岡、佐賀を訪問した

以前は毎年1回のアジア海外旅行(主にオーディオ関連)に

 映画館と海外旅行は、行くと刺激を受けてまた行きたくなるが、しばらく行かないと億劫になるとよく言われる。

 現役の勤め人時代は、諸般の支払いにせっせと航空会社のクレジットカードを使い、マイルを貯めてGWなどに海外旅行に行っていた。マイルで行けるような場所なので、必然的にアジアが行先だ。香港、中国、韓国、ベトナムなどネットで知り合ったオーディオ仲間が在住していたり、見どころがあったので充実した旅行も少なくなかった。

 当ブログの過去記事でも、古い記事はそういう訪問記が多い。

海外旅行はコロナ架などで5年お休みしたため億劫に

 先に書いたように、映画と海外旅行は間を置くとモチベーションが下がる。2024年はまずふる里四国への旅行と考えていて、準備も始めていた。ところがある日、想定外のメールが届く。コロナ架で航空会社のマイレージを期間延長する対処があったのだけれど、コロナが終息したので、期限を復活するという内容だ。結構なマイルが、いきなり3月末で失効する。

 準備中の四国旅行を飛行機に振り返ればちょうど良いのだが、叔母や従弟たちが揃うのはGWということで、上手くタイミングが合わない。

 何年もためているので、海外も行けるのだが、モチベーションが上がらず困った。困ってばかりいてもしょうがないので、なるべく遠い国内ということにした。前の年に北海道に行ったので、今度は九州か。数年前に車で福岡県、大分県を回り久留米市のオーディオ仲間とミニオフ会したのを思い出した。以前から、同県内の太宰府市の鬼才町田さんのシステムを一緒に聴きに行きましょうと誘われていた。

 大物過ぎて、敷居が高くて遠慮したいのだが、YouTubeで私が紹介したので、先方は会いたがっているらしい。

 旧に連絡して歓迎してくれるオーディオ仲間というのも貴重だ。というわけで、久留米市のハヤブサ氏を2019年以来の再訪問することにした。
 この時の訪問記は、動画にまとめて公開している。

今回は佐賀県にも足を延ばした

 実は、定年後2年目から3年目くらいのタイミングで、佐賀県の若者が運営する人気YouTubeチャンネルにハマって、毎日見ていたことがある。

 その後、方向性が変わって、最近はあまり見ないのだが、毎日見ていた機関があるので、そのチャンネルで紹介された場所や運営している食べ物屋に行ってみたい。そうなると、地理的に福岡県の柳川市という運河が有名な都市が、佐賀県との境にありここも候補となる。20代の頃、大林宣彦監督の映画にハマっていた時期があり、ここが舞台となった映画を見たので、人生で一度は行ってみたい的なリストに入っている場所だ。

 吉野ケ里にはさほど興味がないものの、天気が悪く「佐賀よかでしょう」チャンネル運営の海鮮丼屋が公園(なんと国立公園というもので相当広い)の脇にあるので、吉野ケ里も訪問した。とはいえ雨の中、広大な公園を散策する気になれず、入口の係員に話を聞いて、そこにある展示館で展示物やビデオを見て満喫した。

2024年に吉野ケ里に行くが、天気が悪く入口の展示館のみ
吉野ケ里遺跡はあいにくの天気で、入口の展示館のみでした
2024年吉野ケ里遺跡訪問
入口から望遠で遺跡を撮影、かなりレタッチしてみた
2024年佐賀よかでしょうチャンネルが運営する海鮮丼屋へ
吉野ケ里遺跡の近くの佐賀よかでしょう運営の海鮮丼屋、チャンネルでいつも見るコウタ氏と会いました

事前のイメージと180度違った柳川市の運河(水郷柳川観光)

 先に述べたように、私の柳川運河のイメージは大林宣彦監督の映画。原田知世主演「時をかける少女」など、美少女が主人公の尾道三部作などを監督していた頃の作品だ。一連の作の中では内容や人気が今一つでヒットしなかった地味な映画だ。実際に観光地の店や駐車場で地元の人に聞いてみたが、年配の駐車場のおじさんだけが少し覚えていた程度だった。

 勘違いしていて、原田知世主演と地元の人に聞いて回ったのだが、正しくは小林聡美。その後は3枚目や渋い役者になったのだが、その頃は紛れもない美少女で、尾道三部作では「転校生」の主演で知られる。柳川が舞台の映画は「廃市」で大林監督には珍しく、後の小林聡美のイメージとも遠く暗い映画だった。

 で、何が180度違うかというと、水郷観光の柳川運河は明るいイメージなのだ。運河(お堀?)を小舟で観光するのだが、船頭さんがひょうきんで、ギャグを連発する。周りも含め、映画のような暗いというか情緒的な場所ではなかった。

 また、有名な「うなぎのセイロ蒸し」は、事前にハヤブサさんから穴場の店を聞いていたので、美味しくリーズナブルにいただけ満喫した。

4-5月の四国旅行は、徳島と南予(愛媛県・旧伊予の国の南)の個人的再発見の旅になった

故郷の愛媛県西条市に久しぶりに帰った

 何だかこの年は、旅行の話ばかりになってしまいそうだ。イベントもそうだが、旅行についてもコロナ渦がかなり落ち着いたので、あちこちで久々の旅行、特に遠距離旅行を再開した人がおそらく世界的に増えたのではないだろうか。ニュースでは、インバウンドの復活関連も多く目にした。

 すでに両親や姉は、愛媛県から随分前に愛知県に移住していたので、故郷で訪ねる相手は叔母とその息子達の従妹となる。年明けから従妹と連絡を取り、皆が揃うGWに尋ねることにした。GWに入っての移動は渋滞するため、その前の空いている時期に東京を離れ先に徳島県を観光して向かうことにした。

 いつ以来だろう?息子を一時預かってもらうことがあったので、それ以来で、過去の写真を確認すると2015年なので、ほぼ10年ぶりとなる。

2024年故郷の愛媛県西条市訪問。郊外の石鎚神社から市街地を撮影。
故郷の愛媛県西条市訪問。郊外の石鎚神社から市街地を撮影、田園の向こうの海岸沿いに工業地帯その手前に市街地

愛媛県の前に四国在住時もその後も縁の薄かった徳島県訪問、なかなかの地域で徳島再発見!

 私は愛媛県出身で、高校卒業まで愛媛県西条市で暮らし、その後も親が定年退職で移住(三重県から愛知県)するまで頻繁に帰省していた。旅行や卒論の取材などで隣の香川県や南の高知県はなじみがあったが、四国でも徳島県と愛媛県の南方面(南予という)は馴染みがなく、知識含め空白に近い。

 高校卒業までは、せいぜい自転車が移動手段なので、中途半端に離れた場所は空白区になりがちなのではないだろうか。

 今回、車で移動というスケジュールの関係で、GW前に出発して四国にGW前の渋滞期を避けることが望ましく、徳島県の観光を先に行うことにした。定年後によく観るようになったYouTubeでは、都市伝説やスピリチュアル系のテーマで、徳島県はしばしば取り上げられる。大昔にユダヤと交流があったとか邪馬台国だとかなんだかんだと。

 結局、山岳地帯のスピリチュアル系の場所は行けなかったが、阿波踊りで有名ながら行ったこともなかった徳島市で観光ができた。隣の鳴門市は東京から四国への異動で大鳴門橋を何度か使っていたので通過はあったが、滞在は初となった。

2024年、徳島観光、阿波踊り会館で生の阿波踊りを観る
阿波踊り会館では阿波踊りが年中観られる
2024年徳島市観光、港の古い倉庫を改装して若者向けのショップや飲食店街に
感心したのは、県庁前がヨットハーバーで、少し移動して古い倉庫群を改装した若者向けショップや飲食店というお洒落な場所が

未踏の地、南予(愛媛県の東・中・南予と三つのエリアの南地方)を訪問したが1泊ではわからなかった

 愛媛県出身で、海外も米国とアジアはそれなりに旅行した経験があるし、生活も東京と北陸(富山県)、運転免許合宿の長野県や月一出張の福島県の経験もある。しかし、生まれ故郷から中途半端な距離にある地域は意外と空白になりやすい。

 愛媛県の南予もそのパターンであった。有名な都市は宇和島市、八幡浜市、大洲市でそれ以外でも風光明媚な場所が多いという話は良く聞いていた。しかし、強い興味もなく、知識がかなり薄い。今回は、徳島市と地元の西条市訪問が主であったので、南予はさわりだけで大洲市に一泊だけした。昔と違って、高速道路で(近くもなかったが)行く事ができる。

 事前に、西条市の従弟たちと話すと、手前の内子町に復元・保存されている古い町並みがおススメといわれた。大洲市も古い町並みが有名らしい。観光地アルアルで、近くの地域がライバル心が旺盛なため似たようなコンセプトの〇〇というのが生まれやすい。

 大洲市の場合、城下町でお城とJRの駅周辺、そして川を挟んで古い町並みがあり、その一角に「おはなはん通り」というのがある。「おはなはん」というのはNHKの朝ドラの初期作で樫山文江主演の人気ドラマだ。そのロケ地ということであった。それを含む再開発はかなり努力されたようで、徳島の倉庫街同様、その歩みは興味深いが、当ブログでは割愛する。興味ある人は別に検索してほしい。

樫山文江が美しく撮られていて、何度も見たくなるおはなはんの写真が休憩所に飾られていた

他にも伊豆や愛知、栃木と旅行が多く4年ぶりのイベントも多々あった年だった

 6月には車を買い替えた。予定外だったが、2年前にそれまでより小さい車に変えてそのストレスに耐えられなくなった。

 2月に友人と伊豆温泉旅行。7月には愛知で父の三回忌。10月は以前は年中行事だったゴルフ帰りの寄り道で栃木の温泉ホテルに宿泊したりと旅行が多い年だった。コロナからの解放ということが主な要因であることは明白だ。割愛したが、GWの自動車旅行は、愛知、しまなみ海道(愛媛と広島)、岡山、奈良も訪問している。

 もう一つ、コロナ明け的なこととして、イベントの復活がある。オーディオや音楽関連だけでも、5月にクラシックの祭典(東京丸の内地区)ラフォルジュルネ東京(今回から一部でオーディオ系展示や試聴あり)。7月にオーディオ技術誌のMJミュージックフェスティバル(東京・お茶の水)。同じく7月にTIS(東京インターナショナルオーディオショウ)。10月にはMJの同年回目のイベント。11月には国立音楽大学の学園祭。12月には東京・浅草橋で季刊オーディオアクセサリーのイベント。

 あまりのイベントの多さに、例年出かけていたオトテンとミューズの方舟スピーカーコンテストは欠席した。

 12月のMJのイベントは、ブログでも取り上げた内容で連絡を取っていたMJ連載執筆者の標語在住鈴木康平氏との面会を兼ねたものだった。

 他にもコロナ明け的なイベントやそれ以外のものも含めて、アクティブな1年であったが、終盤は何故か自分では体調いまいちで、YouTube以外が身が入らずモチベーションが低かった。

 忙しかったり、その逆でモチベーション低下したりで、記憶自体が薄いという5年の歳月の印象を薄くした要因の一つはこの「コロナ明け」だったのかもしれない。いや5年というなら、明けだけではなく、入りから含め全体の狂騒曲的時代が大きく影響したという事なのだろう。

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